水処稀荘について
ご飯を作ってみんなと食べて、あたたかい気持ちになる。
家族といるように、自分の家のように、ゆるやかな時間を過ごしてください。
この場所に込めた想い
バーとホテルを楽しみながら
地元の人たちとの交流の場に
水処稀荘では中世のヨーロッパの古いスタイルを復活させたような、バーとホテルを一緒に楽しむことができます。
中世ヨーロッパでは、あるスタイルの宿に立ち寄って夜を過ごすのが一般的だったと言われています。これらの宿は独特で、一般的にバーやホテルとして機能して、食べ物や飲み物もそこで楽しみ、仲間と交流し、そのまま2階のベッドで寝ることができました。
水処稀荘もそんな昔のフランスやドイツなどのスタイルと、昔の日本の豆田町の文化とが混ざり合ってできた場所と言ってもいいかもしれません。
自分の別荘のように
実用性に焦点を当て、何よりも快適さを重視したため、他のホテルのようにシングルルームだけではなく、専用のキッチン、 2 つのベッドルーム、洗濯機付きのバスルームを設置。近隣の飲食店を巡り地元の食材を味わいながら楽しい夜を過ごした後に、あなただけの別荘でぐっすりおやすみください。
コンセプト
暮らすように泊まる
日田の日々の暮らしや人々の営みを感じながら、ゆっくりとこの場所での時間を過ごしていただけたら幸いです。
そして、この場所から地元の人たちと交流して繋がったり、日田や九州のおもしろい場所を訪れたり、後々、旅を振り返った時にあなたの記憶に彩りを加えられるような、そんなきっかけの場所になれたらと思っています。そしてあなたの別荘のような存在になれたら。
二重性のある様式
古いものと新しいもの。和と洋。1階はヨーロッパのモダニズムに重点を置き、2階は伝統的な日本の快適さに重点を置くなどそれぞれの良さを活かした二重性のある様式を考えた空間づくりをしています。
その他、例えばお風呂には日本のモダニズムを、2階のベッドルームにはヨーロッパの快適さなどそれぞれの良い部分を取り入れています。1階にはダイニングキッチン、風呂、トイレ、洗面所など水回りの場で生活空間になっています。
地元の素材と職人の技術
日田杉や日田土を使用し、日田の職人によりつくられた水処稀荘。地元の素材を使った職人の技術と空間を体感することができます。
歴史の深い豆田の町を散策したり、この場所からおすすめのお店やおすすめのスポットに訪れながら、ゆっくりと日田での時間を過ごしてください。
ロゴに込めた想い
水の街である日田の川をイメージして
このロゴは「水」の旧字と、とどまらない川の流れを表しています。エラの岩や、すいこまれそう岩など実在する岩の配置も踏襲しています。
下側の中央にある、少しとんがった岩が“すいこまれそう岩”です。日田杉の枠に囲まれていて、緑青色の川の中に在る岩たち。
“すいこまれそう”という変わった名前です。水処稀荘の漢字は当て字ですが、“水の処にある稀な荘”という意味で当てはまっています。また、「自然と吸い込まれていきそうなところ」という意味をイメージする人も多いのではないでしょうか。でも実は名前の由来は違うエピソードからきています。日田は水の街。川が中心にあり、日田の人たちは子供の頃から川遊びで育ちます。
いくつもの川遊びのスポットがある中で僕らがよく行っていた“エラ”という場所があります。そこは奥まったところにあり、いくつかの岩に囲まれた泳ぎ場で大きな岩から飛び込んで遊んだりする中学生くらいからの登竜門のような存在だったり、聖地みたいな場所。
そこの大きな岩に行くには、手前の岩から飛び込み、流れを突っ切り、岩にしがみつき登っていく。その場所でひと通り遊びまた陸に帰ってくるときは、大きな岩から飛び降り、流れを突っきり、吸い込まれそうな岩の下に吸い込まれずにしがみついて帰ってくるという道のりになる。
吸い込まれそうな岩の所は、岩の下に引き込まれる水の流れができているので、引き込まれないようにしっかりと岩を掴んで登らないといけない。その岩を僕らは“すいこまれそう岩”と呼んでいて、その岩が名前の由来になりました。
ちなみに1階の“café&bar bajio”は事業全体の事務所にもなっていて、事業名は”エラノイワ”(エラの岩)といいます。そのエラノイワと同じ場所にあり、対であるということから、宿の名前を“水処稀荘”(すいこまれそう)と名付けました。
水処稀荘ができるまで
以前からずっとあったような、
佇まいのある建物にしたかった。
古くからハブ都市としての役割を担っていた日田。花月川のほとり、御幸橋のたもと、八坂神社の参道の入り口、豆田町の1角にある建物で、日田に入って来るときにも帰るときにも多くの人が目にする町の要所の場所なので、真新しい建物ではなく以前からずっとあったような佇まいのある、地元の本物の素材を使用して1流の職人が手掛けた建物にしたかった。
ここにしっかりとした存在があることで、豆田町や日田の底上げができるシンボルの1つになることができればと。日田は木材の町なので、もとより良質な木材などを使って造られている建物が日田には多い。それをうまく活用できれば、他の地域ではできない良質なものができるというイメージはありました。
歴史ある町の中の
現代の茶屋と宿として
元々の建物の造りとしては、外観は形が和で仕上げが洋の施工がされていました。一見、蔵のような日本の建物に見えますが、サイディングという外壁を張り合わせて作る壁で、それをリシンという骨材を吹き付けて仕上げるという現代も行われている施工方法です。これは漆喰仕上げなどに比べると、簡単に施工でき雨風に強く施工費も安いという利点はありますが、10年おきくらいに外壁塗装のメンテナンスを行い、手を加えながら壁を守っていきます。
ただ、縦に目地の線が大きく見えることにより、縦柄のストライプのような見た目になります。また表面が漆喰などとは違い、ザラザラとした石が表面に出ているので、質感として蔵のような和風の壁とは違う印象になっていました。
玄関周りにはオレンジ色のタイルが貼られていて、簡易的な裏口玄関のように見える建物でしたが、それを神社参道の入り口に佇んでいる茶屋と宿になるようにと、外装のデザインと施工を工夫。まず白い壁の目地や骨材を埋め、全体的に漆喰のような平らな壁に塗り替えました。細かい部分ですが、こうすることにより一気に和の蔵のような雰囲気が生まれます。
町のイメージを左右する
建物だからこそ
そして、玄関周りを日田杉の赤身材を使用した格子を造り、暖簾を掛けて宿の玄関という「顔」を造りました。外部から中が見えにくくすることで宿の入り口でのプライベート空間を作ることができ、ゆとりができました。最後に取り付けたのが、建物の白壁に「水処稀荘」のサインと紋。豆田町に入ってくるとき、出ていくとき、御幸橋の上から、対岸からの見る風景が変わったのではないかと思います。また、近くにある八坂神社への参道への道筋がすっきりと見える道しるべができたようにも感じます。夜になるとオレンジの街灯に照らされた水処稀荘のサインの影が壁にぼんやりと映り、情緒のある町の風景と重なりを生み出しています。
水処稀荘の人たち
ゆっくりと日田の時間を過ごしてもらいたい
自分たちが子どもの頃からいつも遊んでいた三隈川や豊かな自然、日田の街。年月が経つうちにそれらは少しづつ変化してきましたが、なにも変わらないものがあって。太古から脈々と続く日田の時間と空気。身に染み込んでいる大好きな日田の時間と空気に浸り、日々の営みを行うことができれば。そして故郷である日田を活動拠点として、訪れた人がこの土地の魅力を体感できるような場所をつくれたら。そんな想いで20年ぶりに日田に帰ってきました。2015年に空き店舗だったこの古民家の1階を日田の素材と職人の技術によってcafe&bar bajio(バヒーオ)に改装して人が行き交う交流の場としました。2018年には空き家になった2階を改装し、みなさんが滞在を楽しめる宿をつくりました。水処稀荘(すいこまれそう)と名付けたその宿はあなたの旅をより豊かに鮮やかに彩ってくれるものとなれば幸いです。
何か気になることなどございましたらお気軽にお尋ねください。それではどうぞ、ごゆっくり。
自分の故郷のためにできることを一つ一つ
僕は2009年から故郷である日田市に戻り、映画館を営んでいます。2回閉館した映画館の再興を頼まれて始まりましたが「人が来なくても映画は、文化は、とても大切なものに違いはない」という想いがありました。この宿のオーナー瀬戸口氏とは学生時代からの友人。彼とは映画や音楽の世界を共有してきた。その原点、彼に人として大きくなる決意を表明した場所が恵良(エラ)という三隈川の上流にある川だ。恵良の岩と言われる飛び込める岩があり、飛び込んだ後に待ち受けている危険スポットがあり、そこを”すいこまれそう”と呼んでいました。
それから彼は俳優になり、ぼくは映画館主になった。彼は日田に帰ってきてこの宿を開いた。これからは自分だけじゃなく、日田という故郷の為に、家族、友人、そして日田に足を運んでいただいた方のためにできることをやっていこうという決意でもある。なので、ぼくもできる限り加勢しようと思い参加しています。あの川で誓った初心に触れながら、みなさんと新しい歴史を刻んでいけると、とても嬉しいです。どうぞ、ゆっくり日田を味わってください。そして、分からないことは何でも聞いてくださいね。
バーとホテルを楽しみながら
地元の人たちとの交流の場に
水処稀荘では中世のヨーロッパの古いスタイルを復活させたような、バーとホテルを一緒に楽しむことができます。
中世ヨーロッパでは、あるスタイルの宿に立ち寄って夜を過ごすのが一般的だったと言われています。これらの宿は独特で、一般的にバーやホテルとして機能して、食べ物や飲み物もそこで楽しみ、仲間と交流し、そのまま2階のベッドで寝ることができました。
水処稀荘もそんな昔のフランスやドイツなどのスタイルと、昔の日本の豆田町の文化とが混ざり合ってできた場所と言ってもいいかもしれません。
自分の別荘のように
実用性に焦点を当て、何よりも快適さを重視したため、他のホテルのようにシングルルームだけではなく、専用のキッチン、 2 つのベッドルーム、洗濯機付きのバスルームを設置。近隣の飲食店を巡り地元の食材を味わいながら楽しい夜を過ごした後に、あなただけの別荘でぐっすりおやすみください。
暮らすように泊まる
日田の日々の暮らしや人々の営みを感じながら、ゆっくりとこの場所での時間を過ごしていただけたら幸いです。
そして、この場所から地元の人たちと交流して繋がったり、日田や九州のおもしろい場所を訪れたり、後々、旅を振り返った時にあなたの記憶に彩りを加えられるような、そんなきっかけの場所になれたらと思っています。そしてあなたの別荘のような存在になれたら。
二重性のある様式
古いものと新しいもの。和と洋。1階はヨーロッパのモダニズムに重点を置き、2階は伝統的な日本の快適さに重点を置くなどそれぞれの良さを活かした二重性のある様式を考えた空間づくりをしています。
その他、例えばお風呂には日本のモダニズムを、2階のベッドルームにはヨーロッパの快適さなどそれぞれの良い部分を取り入れています。1階にはダイニングキッチン、風呂、トイレ、洗面所など水回りの場で生活空間になっています。
地元の素材と職人の技術
日田杉や日田土を使用し、日田の職人によりつくられた水処稀荘。地元の素材を使った職人の技術と空間を体感することができます。
歴史の深い豆田の町を散策したり、この場所からおすすめのお店やおすすめのスポットに訪れながら、ゆっくりと日田での時間を過ごしてください。
ロゴに込めた想い
水の街である日田の川をイメージして
このロゴは「水」の旧字と、とどまらない川の流れを表しています。エラの岩や、すいこまれそう岩など実在する岩の配置も踏襲しています。
下側の中央にある、少しとんがった岩が“すいこまれそう岩”です。日田杉の枠に囲まれていて、緑青色の川の中に在る岩たち。
“すいこまれそう”という変わった名前です。水処稀荘の漢字は当て字ですが、“水の処にある稀な荘”という意味で当てはまっています。また、「自然と吸い込まれていきそうなところ」という意味をイメージする人も多いのではないでしょうか。でも実は名前の由来は違うエピソードからきています。日田は水の街。川が中心にあり、日田の人たちは子供の頃から川遊びで育ちます。
いくつもの川遊びのスポットがある中で僕らがよく行っていた“エラ”という場所があります。そこは奥まったところにあり、いくつかの岩に囲まれた泳ぎ場で大きな岩から飛び込んで遊んだりする中学生くらいからの登竜門のような存在だったり、聖地みたいな場所。
そこの大きな岩に行くには、手前の岩から飛び込み、流れを突っ切り、岩にしがみつき登っていく。その場所でひと通り遊びまた陸に帰ってくるときは、大きな岩から飛び降り、流れを突っきり、吸い込まれそうな岩の下に吸い込まれずにしがみついて帰ってくるという道のりになる。
吸い込まれそうな岩の所は、岩の下に引き込まれる水の流れができているので、引き込まれないようにしっかりと岩を掴んで登らないといけない。その岩を僕らは“すいこまれそう岩”と呼んでいて、その岩が名前の由来になりました。
ちなみに1階の“café&bar bajio”は事業全体の事務所にもなっていて、事業名は”エラノイワ”(エラの岩)といいます。そのエラノイワと同じ場所にあり、対であるということから、宿の名前を“水処稀荘”(すいこまれそう)と名付けました。
水処稀荘ができるまで
以前からずっとあったような、
佇まいのある建物にしたかった。
古くからハブ都市としての役割を担っていた日田。花月川のほとり、御幸橋のたもと、八坂神社の参道の入り口、豆田町の1角にある建物で、日田に入って来るときにも帰るときにも多くの人が目にする町の要所の場所なので、真新しい建物ではなく以前からずっとあったような佇まいのある、地元の本物の素材を使用して1流の職人が手掛けた建物にしたかった。
ここにしっかりとした存在があることで、豆田町や日田の底上げができるシンボルの1つになることができればと。日田は木材の町なので、もとより良質な木材などを使って造られている建物が日田には多い。それをうまく活用できれば、他の地域ではできない良質なものができるというイメージはありました。
歴史ある町の中の
現代の茶屋と宿として
元々の建物の造りとしては、外観は形が和で仕上げが洋の施工がされていました。一見、蔵のような日本の建物に見えますが、サイディングという外壁を張り合わせて作る壁で、それをリシンという骨材を吹き付けて仕上げるという現代も行われている施工方法です。これは漆喰仕上げなどに比べると、簡単に施工でき雨風に強く施工費も安いという利点はありますが、10年おきくらいに外壁塗装のメンテナンスを行い、手を加えながら壁を守っていきます。
ただ、縦に目地の線が大きく見えることにより、縦柄のストライプのような見た目になります。また表面が漆喰などとは違い、ザラザラとした石が表面に出ているので、質感として蔵のような和風の壁とは違う印象になっていました。
玄関周りにはオレンジ色のタイルが貼られていて、簡易的な裏口玄関のように見える建物でしたが、それを神社参道の入り口に佇んでいる茶屋と宿になるようにと、外装のデザインと施工を工夫。まず白い壁の目地や骨材を埋め、全体的に漆喰のような平らな壁に塗り替えました。細かい部分ですが、こうすることにより一気に和の蔵のような雰囲気が生まれます。
町のイメージを左右する
建物だからこそ
そして、玄関周りを日田杉の赤身材を使用した格子を造り、暖簾を掛けて宿の玄関という「顔」を造りました。外部から中が見えにくくすることで宿の入り口でのプライベート空間を作ることができ、ゆとりができました。最後に取り付けたのが、建物の白壁に「水処稀荘」のサインと紋。豆田町に入ってくるとき、出ていくとき、御幸橋の上から、対岸からの見る風景が変わったのではないかと思います。また、近くにある八坂神社への参道への道筋がすっきりと見える道しるべができたようにも感じます。夜になるとオレンジの街灯に照らされた水処稀荘のサインの影が壁にぼんやりと映り、情緒のある町の風景と重なりを生み出しています。
水処稀荘の人たち
ゆっくりと日田の時間を過ごしてもらいたい
自分たちが子どもの頃からいつも遊んでいた三隈川や豊かな自然、日田の街。年月が経つうちにそれらは少しづつ変化してきましたが、なにも変わらないものがあって。太古から脈々と続く日田の時間と空気。身に染み込んでいる大好きな日田の時間と空気に浸り、日々の営みを行うことができれば。そして故郷である日田を活動拠点として、訪れた人がこの土地の魅力を体感できるような場所をつくれたら。そんな想いで20年ぶりに日田に帰ってきました。2015年に空き店舗だったこの古民家の1階を日田の素材と職人の技術によってcafe&bar bajio(バヒーオ)に改装して人が行き交う交流の場としました。2018年には空き家になった2階を改装し、みなさんが滞在を楽しめる宿をつくりました。水処稀荘(すいこまれそう)と名付けたその宿はあなたの旅をより豊かに鮮やかに彩ってくれるものとなれば幸いです。
何か気になることなどございましたらお気軽にお尋ねください。それではどうぞ、ごゆっくり。
自分の故郷のためにできることを一つ一つ
僕は2009年から故郷である日田市に戻り、映画館を営んでいます。2回閉館した映画館の再興を頼まれて始まりましたが「人が来なくても映画は、文化は、とても大切なものに違いはない」という想いがありました。この宿のオーナー瀬戸口氏とは学生時代からの友人。彼とは映画や音楽の世界を共有してきた。その原点、彼に人として大きくなる決意を表明した場所が恵良(エラ)という三隈川の上流にある川だ。恵良の岩と言われる飛び込める岩があり、飛び込んだ後に待ち受けている危険スポットがあり、そこを”すいこまれそう”と呼んでいました。
それから彼は俳優になり、ぼくは映画館主になった。彼は日田に帰ってきてこの宿を開いた。これからは自分だけじゃなく、日田という故郷の為に、家族、友人、そして日田に足を運んでいただいた方のためにできることをやっていこうという決意でもある。なので、ぼくもできる限り加勢しようと思い参加しています。あの川で誓った初心に触れながら、みなさんと新しい歴史を刻んでいけると、とても嬉しいです。どうぞ、ゆっくり日田を味わってください。そして、分からないことは何でも聞いてくださいね。
水の街である日田の川をイメージして
このロゴは「水」の旧字と、とどまらない川の流れを表しています。エラの岩や、すいこまれそう岩など実在する岩の配置も踏襲しています。
下側の中央にある、少しとんがった岩が“すいこまれそう岩”です。日田杉の枠に囲まれていて、緑青色の川の中に在る岩たち。
“すいこまれそう”という変わった名前です。水処稀荘の漢字は当て字ですが、“水の処にある稀な荘”という意味で当てはまっています。また、「自然と吸い込まれていきそうなところ」という意味をイメージする人も多いのではないでしょうか。でも実は名前の由来は違うエピソードからきています。日田は水の街。川が中心にあり、日田の人たちは子供の頃から川遊びで育ちます。
いくつもの川遊びのスポットがある中で僕らがよく行っていた“エラ”という場所があります。そこは奥まったところにあり、いくつかの岩に囲まれた泳ぎ場で大きな岩から飛び込んで遊んだりする中学生くらいからの登竜門のような存在だったり、聖地みたいな場所。
そこの大きな岩に行くには、手前の岩から飛び込み、流れを突っ切り、岩にしがみつき登っていく。その場所でひと通り遊びまた陸に帰ってくるときは、大きな岩から飛び降り、流れを突っきり、吸い込まれそうな岩の下に吸い込まれずにしがみついて帰ってくるという道のりになる。
吸い込まれそうな岩の所は、岩の下に引き込まれる水の流れができているので、引き込まれないようにしっかりと岩を掴んで登らないといけない。その岩を僕らは“すいこまれそう岩”と呼んでいて、その岩が名前の由来になりました。
ちなみに1階の“café&bar bajio”は事業全体の事務所にもなっていて、事業名は”エラノイワ”(エラの岩)といいます。そのエラノイワと同じ場所にあり、対であるということから、宿の名前を“水処稀荘”(すいこまれそう)と名付けました。
以前からずっとあったような、
佇まいのある建物にしたかった。
古くからハブ都市としての役割を担っていた日田。花月川のほとり、御幸橋のたもと、八坂神社の参道の入り口、豆田町の1角にある建物で、日田に入って来るときにも帰るときにも多くの人が目にする町の要所の場所なので、真新しい建物ではなく以前からずっとあったような佇まいのある、地元の本物の素材を使用して1流の職人が手掛けた建物にしたかった。
ここにしっかりとした存在があることで、豆田町や日田の底上げができるシンボルの1つになることができればと。日田は木材の町なので、もとより良質な木材などを使って造られている建物が日田には多い。それをうまく活用できれば、他の地域ではできない良質なものができるというイメージはありました。
歴史ある町の中の
現代の茶屋と宿として
元々の建物の造りとしては、外観は形が和で仕上げが洋の施工がされていました。一見、蔵のような日本の建物に見えますが、サイディングという外壁を張り合わせて作る壁で、それをリシンという骨材を吹き付けて仕上げるという現代も行われている施工方法です。これは漆喰仕上げなどに比べると、簡単に施工でき雨風に強く施工費も安いという利点はありますが、10年おきくらいに外壁塗装のメンテナンスを行い、手を加えながら壁を守っていきます。
ただ、縦に目地の線が大きく見えることにより、縦柄のストライプのような見た目になります。また表面が漆喰などとは違い、ザラザラとした石が表面に出ているので、質感として蔵のような和風の壁とは違う印象になっていました。
玄関周りにはオレンジ色のタイルが貼られていて、簡易的な裏口玄関のように見える建物でしたが、それを神社参道の入り口に佇んでいる茶屋と宿になるようにと、外装のデザインと施工を工夫。まず白い壁の目地や骨材を埋め、全体的に漆喰のような平らな壁に塗り替えました。細かい部分ですが、こうすることにより一気に和の蔵のような雰囲気が生まれます。
町のイメージを左右する
建物だからこそ
そして、玄関周りを日田杉の赤身材を使用した格子を造り、暖簾を掛けて宿の玄関という「顔」を造りました。外部から中が見えにくくすることで宿の入り口でのプライベート空間を作ることができ、ゆとりができました。最後に取り付けたのが、建物の白壁に「水処稀荘」のサインと紋。豆田町に入ってくるとき、出ていくとき、御幸橋の上から、対岸からの見る風景が変わったのではないかと思います。また、近くにある八坂神社への参道への道筋がすっきりと見える道しるべができたようにも感じます。夜になるとオレンジの街灯に照らされた水処稀荘のサインの影が壁にぼんやりと映り、情緒のある町の風景と重なりを生み出しています。
水処稀荘の人たち
ゆっくりと日田の時間を過ごしてもらいたい
自分たちが子どもの頃からいつも遊んでいた三隈川や豊かな自然、日田の街。年月が経つうちにそれらは少しづつ変化してきましたが、なにも変わらないものがあって。太古から脈々と続く日田の時間と空気。身に染み込んでいる大好きな日田の時間と空気に浸り、日々の営みを行うことができれば。そして故郷である日田を活動拠点として、訪れた人がこの土地の魅力を体感できるような場所をつくれたら。そんな想いで20年ぶりに日田に帰ってきました。2015年に空き店舗だったこの古民家の1階を日田の素材と職人の技術によってcafe&bar bajio(バヒーオ)に改装して人が行き交う交流の場としました。2018年には空き家になった2階を改装し、みなさんが滞在を楽しめる宿をつくりました。水処稀荘(すいこまれそう)と名付けたその宿はあなたの旅をより豊かに鮮やかに彩ってくれるものとなれば幸いです。
何か気になることなどございましたらお気軽にお尋ねください。それではどうぞ、ごゆっくり。
自分の故郷のためにできることを一つ一つ
僕は2009年から故郷である日田市に戻り、映画館を営んでいます。2回閉館した映画館の再興を頼まれて始まりましたが「人が来なくても映画は、文化は、とても大切なものに違いはない」という想いがありました。この宿のオーナー瀬戸口氏とは学生時代からの友人。彼とは映画や音楽の世界を共有してきた。その原点、彼に人として大きくなる決意を表明した場所が恵良(エラ)という三隈川の上流にある川だ。恵良の岩と言われる飛び込める岩があり、飛び込んだ後に待ち受けている危険スポットがあり、そこを”すいこまれそう”と呼んでいました。
それから彼は俳優になり、ぼくは映画館主になった。彼は日田に帰ってきてこの宿を開いた。これからは自分だけじゃなく、日田という故郷の為に、家族、友人、そして日田に足を運んでいただいた方のためにできることをやっていこうという決意でもある。なので、ぼくもできる限り加勢しようと思い参加しています。あの川で誓った初心に触れながら、みなさんと新しい歴史を刻んでいけると、とても嬉しいです。どうぞ、ゆっくり日田を味わってください。そして、分からないことは何でも聞いてくださいね。
ゆっくりと日田の時間を過ごしてもらいたい
自分たちが子どもの頃からいつも遊んでいた三隈川や豊かな自然、日田の街。年月が経つうちにそれらは少しづつ変化してきましたが、なにも変わらないものがあって。太古から脈々と続く日田の時間と空気。身に染み込んでいる大好きな日田の時間と空気に浸り、日々の営みを行うことができれば。そして故郷である日田を活動拠点として、訪れた人がこの土地の魅力を体感できるような場所をつくれたら。そんな想いで20年ぶりに日田に帰ってきました。2015年に空き店舗だったこの古民家の1階を日田の素材と職人の技術によってcafe&bar bajio(バヒーオ)に改装して人が行き交う交流の場としました。2018年には空き家になった2階を改装し、みなさんが滞在を楽しめる宿をつくりました。水処稀荘(すいこまれそう)と名付けたその宿はあなたの旅をより豊かに鮮やかに彩ってくれるものとなれば幸いです。
何か気になることなどございましたらお気軽にお尋ねください。それではどうぞ、ごゆっくり。
自分の故郷のためにできることを一つ一つ
僕は2009年から故郷である日田市に戻り、映画館を営んでいます。2回閉館した映画館の再興を頼まれて始まりましたが「人が来なくても映画は、文化は、とても大切なものに違いはない」という想いがありました。この宿のオーナー瀬戸口氏とは学生時代からの友人。彼とは映画や音楽の世界を共有してきた。その原点、彼に人として大きくなる決意を表明した場所が恵良(エラ)という三隈川の上流にある川だ。恵良の岩と言われる飛び込める岩があり、飛び込んだ後に待ち受けている危険スポットがあり、そこを”すいこまれそう”と呼んでいました。
それから彼は俳優になり、ぼくは映画館主になった。彼は日田に帰ってきてこの宿を開いた。これからは自分だけじゃなく、日田という故郷の為に、家族、友人、そして日田に足を運んでいただいた方のためにできることをやっていこうという決意でもある。なので、ぼくもできる限り加勢しようと思い参加しています。あの川で誓った初心に触れながら、みなさんと新しい歴史を刻んでいけると、とても嬉しいです。どうぞ、ゆっくり日田を味わってください。そして、分からないことは何でも聞いてくださいね。